いまさらかもしれないが。
ニコニコ動画の盛り上がりは、歌詞、言葉がその役割を高めるムーブメントだったんだろうかも。
歌詞が提示できるツール。初音ミクはやっぱりなにか大きなきっかけだが、あれで歌詞が聞き取れるかと言ったらけっこう微妙のはず。で、歌に歌詞を併記して動画で提示することが普通になった、ならば歌詞の担う部分も増そうかと。mp3で配信するのと対比してみれば全然違う。
歌はある面、メロディーや響きが言葉を代弁しているように思うが、ニコニコ動画関連のはいわば言葉・歌詞がメロディーや響きを代弁しているというか。言葉に浸食されている。音楽を効果的に提示する助けとしての歌詞から、言葉を効率的・効果的に伝達するための歌へとなるのかなあ。
歌詞と歌の不可分性。空耳な遊びはそれを乗っ取る。まあ不可分につくられる歌がそこまで多いかどうかは何とも言いかねるところではあるが。言語は・視覚的提示は聴覚情報に優先されるのかな。音源を入れ替えたMADもあるが、それと空耳とはどう異なるだろうか。主従。総合的作品なのか。むしろ音や絵に限らず入れ替え、コラージュというかはもうどこもかしこもだよなと思えば、厳密にあれとそれとが結びついた作品よりも様々なところに置き換えられてなんぼというのが主流なのか。