唐辺葉介『PSYCHE』の新書版と文庫版(旧版と新版)の違いについて


唐辺葉介のデビュー作『PSYCHE』はスクウェア・エニックスより2008年8月16日に新書版で刊行されましたが絶版となっていました。しかし傑作である本作は唐辺葉介の人気もあってかこのたび2012年6月7日に星海社より文庫版の刊行というかたちで復刊しました。
傑作の復刊というだけでも望外のことですが、刊行時に唐辺葉介のブログで

若干の改稿と、イラストの変更、追加を行っています。

という気になる発言がありました。
「若干の改稿」がどの程度のものなのか両者を並べて見てみようとはずっと思ってはいたのですが遅くなりまして、先ほどようやく確認しました。


ぜんぜん違うじゃん!


全編にわたって「若干の改稿」がほどこされています。確かに改稿の範囲であって書き直しとまでは言えないかもしれませんが、改稿と言える範囲で最大限に改稿されています。
確認する前は重箱の隅をつつくつもりで探して細かい差異をリストアップするつもりでしたが、できません。改稿されているところを挙げたら全文引用みたくなりかねません。


改稿の傾向としては、旧版である新書版に比べて新版である文庫版のほうが改行が少なくなっており描写や説明が細かくなっています。ざっくり確認しただけなので見落としもあるかもしれませんが、新書版であった言い回しが表現を変えられたりしている部分はあっても、表現や場面が削られている部分はあまりないようです。
文字組みは、新書版42字×17行で234ページ、文庫版は40字×17行で252ページです。


色々抜粋して確認してみましょう。それぞれの比較で、ひとつめが新書版(旧版)、ふたつめが文庫版(新版)になっています。
まずは序章の冒頭部。

ドアの外から階段を軽やかに下りる足音が聞こえた。
靴下を履いた足のやわらかな音。あれは姉さんだろうか。今日はやけに元気がいいな。いつもみたいにあんまり大人しいのも物足りないけれど、活発になるとそれはそれで不安になる。出来れば昔みたいに普通にしていてほしいのだけれど、それは無理な注文というやつなのだろう。

靴下を穿いた足で階段を駆け下りるあのやわらかな音は、姉さんだろうか。今日はやけに元気がいい。いつもみたいに大人しいのも物足りないけれど、活発になるとそれはそれで不安になってしまう。全てが前触れもなく行われてしまうので、出来れば以前のように僕にもある程度は理解出来る流れを持って行動して欲しいのだが、それは無理な注文というやつなのだろう。結局のところ、僕の方が受け入れてゆくしかないんだ。


別物です。
旧版を横に置いて目で見ながら手で書き写したらこうなるのではというくらいに大きく違います。
冲方丁の小説『マルドゥック・スクランブル』が全面的に改稿されたという例がありますが、個人的にはそれを彷彿とするくらいな改稿っぷりです。


次の抜粋は2章より。

藍子は軽く笑ってから脚立を降り、すると僕より背が低くなった。
「まったく、そんなんで高いとこ昇ってパンツが見えても知らないよ」
「見えないよ」

藍子は軽く笑ってから脚立を降り、すると僕より背が低くなった。
「まったく、そんなんで高いとこ上って落っこちても知らないよ」
「落ちないよ」

……この違いは主人公像に関わるよなあ。


3章途中。

「どこでこんなの手に入れたの?この蝶の仲間は、日本にはいないはずだけど。僕だって、動物園か標本でしか見たことないよ」
「いや、ちょっと行く機会があってね。地球の裏のジャングルに飛んでた蝶の羽だ。遠い異国に思いを馳せてみろ。そうするといっそう鮮やかに見えるだろう?」
そして彼は特有の投げやりな声で笑う。
「確かに、そのあたりはモルフォ蝶がたくさん住んでる場所だけど……いつのまにそんなところに行ってたの?」
僕は訊ねた。
お盆に顔をあわせたとき、駿兄は辛気くさい顔をしていた。
それで「いろんなことにウンザリしたから半年くらいアパートに引きこもって学校のことをする」なんて言っていたはずだ。
「あのときは、とうとう鬱病になっちゃったのかと思って、伯母さんと一緒に心配してたのに。それが地球の裏側まで行って、日焼けなんかしてるなんて」
僕が言うと彼は軽く鼻で笑って、
「そんな言葉真に受けるのが間違ってる。どうかしてるぜ」
駿兄は全然気にしていない。
「それにしたって、遠くまで行きすぎだよ。地球の裏側じゃないか。きっと伯母さんがそのこと知ったらビックリするよ」
「あの人は心配しすぎなんだ。大学なんか中退一流って言うくらいだし、ほっときゃいいんだよ。それに、今回は悪いことしに行ったわけじゃない。仲のいい教授の研究に手伝いでついてったんだよ。学問の探究ってやつだな」
彼は皮肉るように笑った。
「そうなんだ。すごいなあ」

「どこでこんなの手に入れたの?この蝶の仲間は、日本にはいないはずだけど。僕だって、動物園か標本でしか見たことないよ」
そう聞いてみると、
「ご名答。これは地球の裏のジャングルに飛んでた蝶の羽だよ。わけあって、長期旅行する機会があってね。遠い異国に思いを馳せながらよく見てみろよ。そうすると一層鮮やかに感じないか?」
そして彼は特有の投げやりな声で笑う。
「地球の裏のジャングルって、南米のあたり?確かに、そのあたりはモルフォ蝶がたくさん住んでる場所だけど……いつのまにそんなところに行ってたの?」
お盆に顔をあわせたとき、駿兄は辛気くさい顔をしていた。それで「いろんなことにウンザリしたから半年くらいアパートに引きこもって学校のことをする」なんて言っていたはずなのである。それが、そんな、およそ考えられる限り最も遠い場所に行って来たとはどういうことなのか。
「あのときは、とうとう鬱病になっちゃったのかと思って、伯母さんと一緒に心配してたのに。それが地球の裏側まで行って、日焼けなんかしてるなんて」
僕が言うと彼は軽く鼻で笑って、
「そんな風に僕のことを考えるのが間違ってる。どうかしてるぜ」
駿兄は全然気にしていない。
「それにしたって、遠くまで行きすぎだよ。地球の裏側じゃないか。きっと伯母さんがそのこと知ったらビックリするよ。駿兄はずっとアパートにいたと思ってたはずだから」
「今時地球上にびっくりするほど遠い場所なんかないさ。どこに行ったっていいじゃねえか。それに、今回は悪いことしに行ったわけでも、遊びに行ったわけでもない。仲のいい教授の研究に手伝いでついてったんだよ。学問の探究ってやつだな。褒めてほしいくらいだ」
彼は皮肉るように笑う。
「研究?へえ、そうなんだ。すごいなあ」

改稿しまくりです。


7章途中。

「絵を見たよ。かわいい絵だね。」
先輩はそう褒めてくれた。
僕がいや気持ち悪い絵ですよと返すと怪訝な顔をした。よくない対応だったかもしれない。

「絵を見たよ。かわいく描けてるね。」
先輩はそう褒めてくれた。
僕が、いや見たままをうつしただけのつまらない絵ですよと返すと怪訝な顔をした。よくない対応だったかもしれない。

こんな感じで全編にわたってだいぶ手が加えられています。
先にも述べましたが、文庫版では改行が減って描写が細かく改稿されている傾向があります。文庫版で削られた場面というのはぱっとみ見つかりませんでした。
文単位では例えば7章最後のあたりの

『ああそうか。そうだったな!死んでしまったんだっけ。他人ってのは本当に可哀想だなあ。なんだって死んでしまうんだろう?つまらないことをするもんだ。でも、かまやしない。どうだっていいよ。あの子も雪が好きだったじゃないか。たとえ死んだからって仲間はずれはだめさ。直之もそう思うだろう?』

『そうか。そうだったな!死んでしまったんだっけ。まったくいやになる。なんだって死んでしまうんだろう?つまらないことをするもんだ。でも、かまやしない。どうだっていいよ。あの子も雪が好きだったじゃないか。たとえ死んだからって仲間はずれはだめさ。直之もそう思うだろう?』

という部分の「他人ってのは本当に可哀想だなあ。」であったり、
終章冒頭部の

ベッドを抜け出て床に降りた。身体がよろけて乱暴に足音を立てると、蝶立ちが一斉に舞いあがった。そして視界が青い吹雪に覆われる。キラキラとした幻想的な青色が僕のまわりをとり囲む。青色のなかに、まつげの長い目が見えた。それは、感情のない冷たい目つきだ。二重まぶたのぱっちりとした無数の目玉が無表情に僕のまわりをグルリグルリと踊り狂う。目玉の空中ロンド。

ベッドを抜け出て床に降りた。身体がよろけて乱暴に足音を立てると、蝶たちが一斉に舞いあがる。そして視界が青い吹雪に覆われる。キラキラとした幻想的な青色が僕のまわりをとり囲む。青色のなかに、まつげの長い目が見えた。それは、感情のない冷たい目つきだ。二重まぶたのぱっちりとした無数の目玉が無表情に僕のまわりをグルリグルリと踊り狂う。

という部分の「目玉の空中ロンド」なんかは単に削られたみたい。


なので内容的には新書版をより詳しくしたものが文庫版と言えそうではあるのですが、旧版の『PSYCHE』は言葉遣いや改行の多さによるやたら平易な雰囲気が作品の雰囲気にも大きく関わっていたと思われる作品なため、個人的には文庫版と新書版は同じ『PSYCHE』ではあるものの大幅改稿を加えられた別物として考えたいです。




・まとめ
新版と旧版でだいぶ違います。
唐辺葉介ファンの人はどちらも読むほうが良いかと。



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