唐辺葉介『ドッペルゲンガーの恋人』 感想

ドッペルゲンガーの恋人 (星海社FICTIONS)
唐辺 葉介 シライシ ユウコ
講談社
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むずかしい作品。
ほかの唐辺作品とは方向性が違っていて、今作の方向性は私の欲するところではないのだけれど、逆に今作こそが唐辺作品ではピンと来るという人もいるかも。


個人的には『未来のイヴ』を思い浮かべるような内容の小説でした。
ドッペルゲンガーの恋人』は恋人がクローン人間なったらどうなるかというお話。人間らしいけど本物の人間ではない人間が出てくる作品は数多くあって、本物の人間が本物でない人間を受け入れられるか悩むor本物でない人間が私は誰なのか悩む、というのが大抵かと思う。『未来のイヴ』は前者か。ところが今作はそのどちらでもなく、ヒロインの悩み自体は後者であって類型的なんだけど、主観者の男が全然悩んでない。そして瘋癲的でクローンに悩んでない主人公の視点から物語は描かれていて、最終的にはヒロインを侵食する。
過去の唐辺作品を分かりやすく読めば相互不理解みたい部分が多かったと思う。で、相互不理解に当たったとき、唐辺の過去作では相互不理解を前提として視点人物の内面をより掘り下げるor視点人物を別の人に切り替えるかだった。ところがどっこいしょ、『ドッペルゲンガーの恋人』では視点人物は切り替わらず、かといって視点人物の内面を掘り下げる方向にも進まず、ひたすら主人公視点から「ヒロインの悩み、あれはわかってない」みたいな感じで諦めずに書かれる。そして「ヒロインと同じ状況になってみたけど、やっぱりヒロインはわかってない」とこの方向性は最後まで貫かれる。
過去作では相互不理解にあたった際に見えるキャラクターたちの性質があまりに強かったり浮世離れしていたが、キャラクターの描かれ方自体は、相互不理解を意識した上で葛藤するという言ってしまえば普通なものだった。ところが今作の主人公はやばい、相互不理解を意識しないどころかそんなものはありませんとばかりな振る舞いが徹底していて、最後にはヒロインと同じ体験を経てまで自分の理解の正当性をヒロインに主張する。そしてヒロインは主人公の考えに飲み込まれてなにやらハッピーな雰囲気になっているのは、これはもう主人公がヒロインを侵食してしまったということ。今作は過去の唐辺作品がなしえなかった「主人公が相互不理解を乗り越える物語」と言えば聞こえはいいが、その実「主人公の意識が周囲を侵食して世界平和をなしとげる物語」である。
今回目立っていたクローンというギミックはこの相互不理解を乗り越えるつまり侵食するためだけに用意されたと思われる。
今作は裏表紙のあらすじに「SF」とあったりするためそこら辺を問題にする人もいるだろうが、クローンがでてきたからあらすじでSFと書かれたにすぎない。今作はクローンどころか世界設定もキャラクターもまるでぼんやりしていて、あってなきがごとし。
過去作では『PSYCHE』なんかがキャラクターや諸々が薄ぼんやりした話だったが、『ドッペルゲンガーの恋人』は『PSYCHE』に輪をかけて薄ぼんやりしている。唐辺はもともとキャラクターを立たせる感じの人ではないが、今作は極まっている。印象の薄い主人公がよく個性のわからないキャラクターを飲み込んでいくだけで、過程や結果はよく見えるのにそこで動いている人物が全然見えない。


こうした内容が『ドッペルゲンガーの恋人』作品として形をなしている。
それがどういうことか。
唐辺の過去作なんかで、主人公にある程度の共感とか理解を持って読んできた人には、今作は主人公の相互不理解を経ての掘り下げがないため、いつもの唐辺主人公が終始動いているだけで物足りない作品と感じられるだろう。私はこっち。
ところが唐辺作品の主人公の感覚に共感できない・理解できないという人にとっては、共感できない主人公がひたすら正当性を説き、世界、ひいては読み手をも侵食して無理矢理飲み込んでハッピーに持って行ってしまう、ホラー小説のような体裁になっているのではないだろうか。
色んな問題を問題とせずラリっていくだけのような物語の最後はやや不安感を出す感じで締められているが、前者のような読み手にとっては大した不安感でもないはず。しかし後者の読み手は、物語全体で終結部にあるような不安感を抱くんじゃなかろうか。終始ラリっている主人公がヒロインを飲み込んでハッピーに終わるというホラー。




・まとめ
SFでもラブストーリーでもなく、主人公の意識がヒロインをひたすら侵食するだけの物語。キャラクターや世界の個人性はとても薄い。
過去作とは方向性が異なるが、違う向きで成功しているように見える。唐辺作品の主人公が理解できない人が読むと良いかも。