LO 4月号から考える「ハダカ」と「エロ」

LO
LOの2009年04月号が公開された。ご覧の通り裸。裸の表紙自体めずらしいのだが、ここまで正面からの裸となるとLOでは初めて。
成年漫画雑誌では裸の表紙で読者に媚びるのが普通であるためこれは非常に特殊である。



今号の表紙を考えるにあたって、過去の裸の絵を使った表紙を見てみよう。

COMIC LO Vol.18も表紙は裸絵。そのキャッチコピーは「あなたは芸術である」。
この表紙について、編集長はTAKAMICHI LOVE WORKSにおいて、

キャッチコピーはゲージュツに逃げました

と語っている。


対する2009年4月号のキャッチコピーは「ぼくらはなんで、えっちになった?」。
Vol.18のように「ゲージュツ」に逃げず、「えっち」であると正面から性と向き合っている。
しかし今号においても表紙でエロだとは宣言したくないらしい。
裸の女の子に「えっち」という性的度合いの比較的薄い言葉を付記することで、『これは「エロエロ」じゃないよ、「えっち」だよ』という感じの予防線を張っている。
つまり、表紙のほうであらかじめ「えっち」だと言うことで、(極度に)エロい表紙であると呼ばれることを避けようとしているのだ。


そう、LOは裸の表紙を避けているわけではなく性的な表紙を避けているのである。


そう考えて表紙を見てみればなるほど、性器や乳首、口腔や唇など性を感じさせる部分は全く強調されていない。
かくもLOは表紙をエロにしたくないらしい。
しかし雑誌の性格上、裸の女の子が表紙であることは望ましいはずである。
なぜならばそのほうが売れるからだ。売れる雑誌の表紙はエロいグラビアと相場が決まっている。
このことは同じく「TAKAMICHI LOVE WORKS」において、Vol.18の裸の表紙絵について

以前描いてもらったVol.12の号がかなり売れたので「たかみちさん、裸ですよハダカ!」とゴリゴリ念押して描いてもらった絵。

と語られていることからも分かる。


なぜLOは裸の表紙を避けるのか?ということの理由は以上より、「裸を用いると性的な表紙になりがちだから」と推測できる。
ではなぜLOは性的な表紙を避けるのか?これはもう雑誌の方向性、編集、デザインの意向という想像までに留めておこう。




本論のまとめは『LOが裸の表紙を避けるのは「裸を用いると性的な表紙になりがちだから」』となる。
以下にはこの観点から派生することについて一つ述べておきたい。


裸の絵=性的な絵 であるのだろうか?
LOにおいても、裸の表紙絵はエロに媚びているのだろうか?


たかみちの表紙絵との比較対象として青山静男清岡純子を挙げておこう。共に写真家である。


青山静男の写真は『少女たちの日々へ』青山静男写真集photoで見られる。
風景の中の少女を多く撮った人であるが、その写真はたかみちの絵と非常に近い雰囲気を持っている。だかこの人は裸を撮ったわけではない。


清岡純子は一昔前の写真家である。この人はロリータの裸の写真を多く撮った人として有名である。清岡純子 - Google 検索
当然現在では清岡純子の写真集は児童ポルノ扱いであり、売買は禁じられている。
この人の撮った写真は裸である。裸の写真であるから性的である、つまりポルノであるのだろうか。『清岡純子』 復刊特集ページ


また、たかみちは過去エロゲーの原画も手がけており、そこでは裸など性的な絵も描いている。この頃のたかみちの絵はエロゲー原画として性的に媚びた絵だったのであろうか。果てしなく青い、この空の下で…。サンプル1 サンプル2


裸である絵、写真は媚びているのだろうか。性的なものとそうでないものを分けるラインはあるのかないのか、そのとき読み手が担う役割はどれほどであろうか。
裸の絵と媚び、すなわちエロとの関係までを論じようと試みたが、私にはまとめきれなかった。そのため指摘するに留めたい。




LOの表紙絵のすぐ先には児童ポルノ問題が横たわっている。






・参考リンク
http://magicalyellow.blog44.fc2.com/blog-entry-180.html
野良箱 写真集 青山静男「少女たちの日々へ」