ひとりで複数の箸を使い分けるとすばらしい


ひとりで晩御飯を食べているとき、間違えて取り箸で食べたその瞬間に天啓がきました。ひとりが複数の箸を使い分けると食事の可能性がより広がる。


取り箸は別にして、箸はひとり一膳。それがふつう。しかし、箸をひとりで使い分けるという可能性があることに気づいた。
ナイフ・フォークは使い分ける。皿の内容で大きさや刃の入り方などの異なるものを使い分ける、するとおいしく食べられる。マナーの問題かもしれないが。
箸は、ひとり一膳、取り替えない、使い分けない。よしんば使い分けても、それは食事ごとに変わるくらいで、洋食のコースを食べるようには使い分けない。しかし、しかし、使い分けてもいいじゃないか。考えてみたが、箸を複数使い分けることは、マナー的には問題ない。例えば和食のコースでだって、皿ごとに箸を取り替えるということは忌避感があるわけでもない。


箸を使い分けるとどうなるか、食事がおいしくなる。
自身で気づいたことでは、例えば硬い箸のほうが食材の触感を味わえる。それは口に入れる前、箸でとらえた時点での話である。逆にやわらかい箸のほうが、口当たりというか、口に運んだときの感触がやさしい。つまり、触感が大事な料理では塗り箸を使い、ご飯などやわらかいものでは塗りの無い木箸をなどはありうるだろう。木の素材で使い分ければ可能性は広いし、箸は竹も金属もある。


そもそも、箸を汚さないで食べるという考え方自体もここで考えるべきところであった。汚れるなら複数の箸を使えば良い話だ。それは今なら逆にマナーとして定着してしかるべきほどの話だ。食器を使いまわすことは望ましくない、皿は使いまわさない、ならばその皿をおいしく食べるためには食器も変えるべきであった。


料理に合わせて皿を変えるのは当たり前のあたりまえだ。取り合わせも変わる。
「お好みで〜の塩をつけてお召し上がりください」というのがあるのだから「こちらはお好みで〜の箸をお使いください。少し固めがお好きであれば〜の箸ですとよりおいしくお召し上がりいただけます」とかあっても良い。


料理自体がおいしいかどうかとは別に、根本的な土台だがマナーとしてだめでもないという箸はひとり一膳というところを変えることで、特に外食なんかだと一段高級でおいしいものにできるはず。