夏葉薫論「僕らはみんな男が好きで…」


mp_f_pp×夏葉薫
僕らはみんな男が好きで…




1.結論

 夏葉薫の書くヒロインは理想の女性である。だから素晴らしい。
 

2.夏葉薫はどんな人?

 2003年発売の同人サークルLOVER-SOULのデビュー作『CAROL』のシナリオライターとしてデビュー。同年発売の『CAROL』のファンディスク『ARIA』でも『CAROL』における担当キャラクターのシナリオを執筆している。『CAROL』『ARIA』は複数のシナリオライターが関わっている作品であり、夏葉薫の担当はサブヒロインである。
 そして同サークルより2004年発売された『花咲くオトメのための嬉遊曲』では企画からシナリオまでを担当。女子野球部が舞台の作品で、独自色の強い設定と個性的な会話運びで構成された本作はとてもおもしろいです。今なお夏葉薫の代表作の感が強い一作。サイドストーリーも発表されており、ダウンロード販売にて配布されたのち新作を加えて『花咲くオトメのための嬉遊曲 − イレギュラーズ−』として2005年に発売された。
 夏葉薫が関わる同人サークルLOVER-SOULは『花咲くオトメのための嬉遊曲』を発売したのち商業ブランドLOVERSOULへと漸次移行する。商業ブランドとなったLOVERSOULにも依然として夏葉薫は関わっているが第一作にはシナリオライターとしては参加していない。
 そして発売される同ブランド第二作である『春萌〜はるもい〜』から夏葉薫はシナリオライターとして参加する。本作は夏葉薫が原案も担当しているためか、執筆したシナリオは3ルート中1ルートでありながらも同ライターらしさが強く感じられる作品に仕上がっている。さらに『春萌〜はるもい〜』は夏葉薫執筆のアフターストーリーがダウンロード公開され、のちに書き下ろしも含めて『春萌〜はるもい〜 沙緒アフター』として商品化されている。
 夏葉薫が次にシナリオライターとして参加した作品は2008年発売の『LOVERSOULファンディスク 恋魂詰』 である。この作品はLOVERSOULが『春萌〜はるもい〜』の次に制作した『STEP×STEADY』のキャラクターをメインにしたファンディスクであり、夏葉薫は『STEP×STEADY』のキャラクターメインのシナリオを2本と『春萌』キャラによるシナリオを2本担当している。なお『STEP×STEADY』に夏葉薫はシナリオライターとして参加していない。しかし『LOVERSOULファンディスク 恋魂詰』で夏葉薫が書いた『STEP×STEADY』のヒロイン京のアフターシナリオは質・量ともに充実した出来で読み応えがある。他の3本の担当シナリオは夏葉薫らしさも見られるものの、シナリオライターよりもLOVERSOULというブランドの特徴の方がよくあらわれていると言えそうな内容の小品である。
 そして同ブランド2009年発売の『姫さまはプリンセス』でも夏葉薫はシナリオライターとして参加している。個性的な作品名で話題となった作品だが夏葉薫が担当したシナリオはサブキャラ2ルート分のみでかなり短い。
 夏葉薫のエロゲシナリオライターとしての経歴は以上に挙げた『CAROL』『ARIA』『花咲くオトメのための嬉遊曲』『花咲くオトメのための嬉遊曲 − イレギュラーズ−』『春萌〜はるもい〜』『春萌〜はるもい〜 沙緒アフター』『LOVERSOULファンディスク 恋魂詰』 『姫さまはプリンセス』の8作品であるが、ライターとしての作品・活動は他にも多く、特に小説は夏葉薫としてのみでなく別名義でもいくつもあり、経歴を語る上で重要な作品となっている。なお経歴については夏葉薫本人のブログ*1で公表されており本稿もそれに準じている。


3.注

 本稿では以下において『春萌〜はるもい〜』→『春萌』、『春萌〜はるもい〜 沙緒アフター』→『沙緒アフター』、『LOVERSOULファンディスク 恋魂詰』→『恋魂詰』と略称を用いる。 
 これから夏葉薫作品について考えていくにあたり『花咲くオトメのための嬉遊曲』『春萌』『恋魂詰』の3作品をメインに論じる。主として言及するヒロインは『花咲くオトメのための嬉遊曲』の乃雪、『春萌』の沙緒、『恋魂詰』収録『STEP×STEADY』アフターシナリオのヒロインの京(という名前なのだが、本稿では作中で多く用いられている呼称に合わせて会長と称する)の3人である。


4.夏葉薫の作品はどんな感じ?

 夏葉薫作品はいくつもあるが全部が全部素晴らしいとは言わない。『CAROL』『ARIA』はダークな教団の影を感じる異能力者バトルのプロットが強すぎて夏葉薫の良さを味わうには向いていない。『姫さまはプリンセス』は夏葉薫らしい内容だが担当シナリオが短すぎる。夏葉薫の粋と言うべきはレトリックを尽くした主人公とヒロインの会話、そして野球ネタ。その点『春萌』の沙緒ルート、『恋魂詰』の会長ルートは会話が素晴らしい。『復帰戦』*2は野球描写がすばらしい。『花咲くオトメのための嬉遊曲』は会話も野球も素晴らしい*3。夏葉薫は、会話と野球描写に関して突出している。


4.1.会話

 主人公とヒロインが往々にして交わす衒学的な会話。アニメソングを題材に恋愛哲学を語り、下ネタの言葉遊びをしながら関係を深める。夏葉薫が否定的評価を受けるとき会話の部分が否定されているものを多く見かける。
 小難しいことを語っている、互いのやりとりが意味不明に見える、萌えない、などといった感じで受け取られるのだろうか。
 以下に引用を交えながら会話の問題点について検討してみるが一つ注意事項を。引用部にキャラクター名がないのは作品に準拠している。夏葉薫作品では『春萌』まで発言しているキャラクターの名前が明記されておらず、『花咲くオトメのための嬉遊曲』まではボイスもなく、主人公とヒロインどちらが発言しているのか混乱を招きやすいテキストであった。混乱したプレイヤーはなおさら小難しい・意味不明・萌えない、という感想を抱くはずだ。引用部を読めばその混乱しやすさも理解いただけることだろう。


4.1.1.小難しさ


「恋をする事、が問題化される経路についてね、とりあえずは考えてみたいのよ」
「文化が生き延びるための条件、だね。疑似科学的ではあるけれど、社会ダーウィニズム的な類推をするのならば恋愛が問題化されるような文化はその環境に適応的なのさ」
「どういう環境かしら」
「二つの水準で。一つは社会的な水準。もう一つは生物学的な水準」
「うん。で?」
(『花咲くオトメのための嬉遊曲』)*4

 で?と反応するプレイヤーもいるであろう小難しさ、しかしこの会話に実態はない。


「なんかもっと……いつも恋愛の話ばかりしていたんじゃなかったかしら」
「それはあなたがそのように語りたいからそのように聞いた、というだけだわ。私たち、色んな話をしたわ。ただ話すためだけのような話を沢山ね」
(『花咲くオトメのための嬉遊曲』)

 そう、小難しさは見せかけであって、あくまでも会話のための会話でしかないのだ。可愛い会話ではないかもしれないが、ヒロインとの会話はこうあるべきという観念を取っ払って読んでみれば誰もが身に覚えのあるような内容のはず。そう、アニメソングや野球などを題材に哲学や恋愛を題材にした小難しい会話というのは男のそれである。
 一般に、女性的な会話というのがある。女性的な会話は共感を求め男性的な会話は理屈を語るというもので、そこから生まれるディスコミュニケーションを書いたジョークなどがよく流布していたりする。女性と男性の性差について厳密なことを語るのはたいへんだが、会話においてある程度の感覚の差があるという点については一応の同意を得られるところと思う。夏葉薫の書く主人公とヒロインの会話は、会話のための会話という性差が出やすいものであるのに、男同士の会話にしか見えないのだ。


「君らしくもない。君は詭弁とレトリックに捧げられた供犠、舌先三寸教の女司祭ではなかったのかい」
(『花咲くオトメのための嬉遊曲』)

 会話のための会話でレトリックを弄びながら論理を紡ぐような話し方はとても男性的だ。語尾や恋愛という題材がやや女性らしく見えるが、内容がまぎれもなく男性的。アニメソングを題材に会話する場合、ただアニメソングの良さを確認し合うだとか、アニメソングから身近な恋愛状況へと話が広まるなら女性らしいかもしれない。アニメソングの良さと身近な恋愛状況を話すのに迂遠にも「恋をする事」の論理を語り出してしまうのは男性的だ。
 現実には論理を弄ぶ日常会話をする女性がいても珍しくないが、エロゲでは珍しい。サブヒロインとしてはいてもメインヒロインとなると殆ど見かけないと思われる。というのは基本的にエロゲヒロインは美少女(あるいは美女)でなければならず、美少女を書き表すスタイルは類型化されているからである。類型をある程度踏襲することでどのエロゲヒロインもある程度の可愛さが保障されるが、小難しい日常会話ばかりする男性的なヒロインというのはメインに据えるには類型から外れすぎている。詰まるところ夏葉薫の書くヒロインは独特なのだ。


4.1.2.意味不明なやりとり


「何を考えているんだ」
「僕が? 何って言えるような事は、今は特に。でも、沙緒さんと仲良くしたいし、もうちょっと上手くコミュニケーションできたらなって思う」
「……」
険しい顔のまま、沙緒さんが腰を下ろして、僕と視線を合わせる。
僕の答えが気に食わなかったのかどうなのか。
「コミュニカシオン」
「どうしてフランス語?」
(『春萌』)

 そしてはじまる初セックス。好きとか愛してるの言葉はなく「コミュニカシオン(コミュニケーション)」の言葉がセックスという肉体的コミュニケーションへ移行するキーワードとなっている。
 


「これ、いったいなんなの? 毎朝毎朝さ」
「夜毎夜毎の朝を呼ぶ生贄祭りについてどう考える?」
「陽なら昇ってるよ」
「それが沈む保証は?」
「ないね。それが?」
「夜を呼んでいるわけではない、なお」
「そう思ったって言ったっけ?」
「コミュニケーションは言語の内側でだけ行われるのではない。それは、その内側と外側の絶妙な響き合いの中で生まれるのだ」
「わかったってことにとりあえずはしとくけど」
「けど?」
「君、この前そういうコミュニケーション形態否定したよね」
「過ぎた事をうじうじと」
「うじうじと?」
「もったいないおばけは私の高度なコミュニケーションスキルに依存しすぎているのではないか」
「もったいないおばけ?」
「みっちゃんみち」
「シャーラップ!その先を口にされてはいくら僕でも紳士でいられる自信がないぜ!」
(『春萌』)

 乃雪との会話では内容がわかりにくいが、沙緒との会話ではコミュニケーションが成立しているのかどうかわかりにくい。
 沙緒との会話はレトリックに満ちている。そして迂遠。当人たちがコミュニケーションに不安感を抱く描写はないが、直接言葉を交わしているのに曖昧なコミュニケーションでもってプレイヤーを置き去りにしかねないほどレトリックを凝らした会話は、会話のための会話であり虚飾だ。沙緒とのコミュニケーションはレトリックという名の嘘で化粧されたものでしかない。そのような会話は物語の最初から最後まで様子を変えることなく交わされる。シナリオにおいても、恋愛関係の距離を縮めるための愁嘆場やトラウマなどはなく、レトリックを間に挟んだ主人公とヒロインの距離感は変わらない。
 ヒロインとの距離感を縮めるにあたってよくエロゲで用いられる描写に呼称の変化というのがある。それまで名字や敬称で呼んでいたのを下の名前で呼ぶように変えるというやつだ。呼称の変化はセックスシーンを境に行われることが多いが、呼称を距離感の象徴として扱うことで、ヒロインとの距離がセックスをするほどに縮まったことの説得力を増すものだ。ところが沙緒シナリオは呼称の扱いが特徴的である。主人公は「沙緒さん」と呼ぶが、沙緒は主人公に名前(みちあき)で呼びかけることをせず言葉遊びをするように毎回「み」からはじまる異なる単語(例:ミギー、ミーティア、ミゲール・テハダ)で呼びかける。セックスシーンでは呼称が「みー」になるが、セックスシーンの前も後も言葉遊びをするのは変わらない。距離感の象徴として扱われる名前が直接呼ばれずレトリックが用いられているということは、そのコミュニケーションには何らかの距離感を感じさせるものだろう。また、セックス中はエロゲとしての要請もあるだろうから言葉遊びが控えられるものとして、セックスの後も呼称が言葉遊びのまま変わらないというのは、物語を通して主人公とヒロインの距離感に大きな変化がないことのあらわれと読める。
 

4.1.3.萌えない


「う……。顔は関係ないよ」
「造作の話はしていない」
「表情?」
無言で頷く。
「そんなに締まりないかな」
「あると言われた事があるか」
「うーん……。ないかも」
さもありなん、という表情で、沙緒嬢が頷く。
「君だって、敬虔心の感じられないその驕った顔で」
「止むを得ない。驕りは美少女の要件だ」
「言い切るなあ」
「韜晦してもいい事ないからな」
韜晦、という事で言えば、いつも真っ直ぐには進まない彼女の会話は、全体が韜晦そのものであるようにも思える。
(『春萌』)

 萌える基準は人によるとはいえ、夏葉薫のキャラクターは萌えにくい要素が多いかもしれない。小難しい会話ばかりするヒロインは萌えない、という人はけっこういそうだ。ヒロインとコミュニケーションがとれなかったら萌えるどころじゃない。主人公とヒロインがコミュニケーションを取れているのにプレイヤーが置いてきぼりになれば、感じるのは萌えではなく疎外感だろう。そして沙緒に至っては口調も萌えにくい。返事は「おう」、語尾は「〜ではないか」で主人公よりも男らしい喋り方をする。おまけに自らが美少女であることを韜晦せず、語彙は小難しく、会話は真っ直ぐに進まない。少なくとも典型的な萌えキャラとは言い難いヒロイン像を形成しているのだ。


4.2.夏葉薫シナリオのメインは会話(レトリックは距離感のあらわれ)

 否定されやすい特徴というのは独特の要素である証拠で、夏葉薫の妙味は会話にこそあらわれている。反面シナリオがわかりやすい事件などの展開などで読ませるタイプではないというのもある。呼称が変化するような事件は起きない、ならどこで恋愛を書いているのか?レトリックを尽くした会話、会話のための会話こそがキャラクターの心情を雄弁に語っているのだ。
 だがちょっと待ってほしい。レトリックを尽くした会話は真っ直ぐに進まないのだ。距離感も縮まらない。事件も起きない。……本当に起きていないのか?『花咲くオトメのための嬉遊曲』はどうか。セックスシーンは回想的に挟まれるが、前後では野球の試合内容だけが実に丁寧に描写されている。純愛よりのエロゲにおいてセックスは一大イベントであるはずだが、それが挿入される必然性を感じさせるような事件はない。『春萌』はどうか。過去の告白や覗きなど段階を経てセックスに至ってはいるもののヒロインが泣き出すような愁嘆場はなく、自慰シーンなどもあるにも関わらず実に淡々とした展開である。殊に過去の告白シーンは白眉で、父親の死と母親との疎遠をヒロインが語っているシーンであるのにその会話は日常と変わらずレトリックだらけの訥々としたやりとりで、主人公とヒロインのどちらも感情を表に見せようとしない。『恋魂詰』はどうか。会長は幼なじみキャラだが、幼なじみから恋人への関係の変化にあたって事件はあるのだろうか。物語の導入部で雨に濡れる会長に傘とジャケットを貸した場面が関係の転換点に当たると見ることもできるが、事件と呼べる事件は起きない。
 『恋魂詰』は距離感という言葉をキーワードにしていて、主人公がセックス直前に幼なじみの距離感を自覚的に踏み越えるシーンがある。他の夏葉薫作品はセックスを距離感を変えるような事件として書いていないが、『恋魂詰』ではセックスに当たり「距離感を踏み越える」と地の文で宣言していて、一方踏み越えたセックスシーンの後にヒロインたちは「恋愛行動を重ねる」ともある。セックス後も能動的に恋愛行動を重ねるというのは普通の恋愛描写ではない。
 こうした内容に『春萌』のセックスシーンでの呼称が日常シーンと異なる点などをあわせて考えると、夏葉薫が距離感という側面においてセックスシーンを特別視しているのは確かで、セックスという肉体的コミュニケーションに踏み込むことでヒロインとの距離感が縮まることがある。
 しかし会話などコミュニケーション全般の距離感が変わらない。


好きになるには理由が要るもの」
「いるの?」
「理由……はいらないかな。でも、原因はいるでしょ」
「原因」
「出会い、よ」
「出会ってもいない相手と恋をするわけのは確かにいかないね」
「ええ。では、出会いとは?」
「出会う事だよ」
「その通り。あう、というのは素敵な語彙ね」
「一人じゃできないから?」
「そう。そこにはinteractiveな、という事はとりもなおさずinterpassiveな二者関係が存在するの。出会う、という事は出会われ合う、という事だわ」
「出会われる事は意志を越えた出来事であり、それこそは恋愛が世界からの祝福である証左だ、と」
「そうそう。これが枯堂夏子第二のテーゼ『所与としての恋愛』よ」
(『花咲くオトメのための嬉遊曲』)


「創部半年で決勝ってのもなんか引くよね」
「まるでお話みたいで?」
「うん。上手くいく必然性がない、というか」
「もしも必然性があるとすれば、それは――」
「それは?」
「私がこの世界のヒロインだから、かしら」
「つまり?」
「私たちがここでこうしている必然性があるような、そのようなお話がどこかにあるのよ」
「お話があるというのなら、ほれ、ここに出してみなさい」
「お話ってのは見えるけど見えないものよ、基本的に」
「見えるけど見えないもの、ね。どっかで聞いたような台詞だね」
「どっかで聞いたような事をだけ私たちはしゃべくって生きるのよ。つまりね、誰かが私を愛してるって事」
「誰か、ね」
(『花咲くオトメのための嬉遊曲』)

 好きになるのに理由はいらず、出会った原因はあなたがこの世界のヒロインだったから、というのが夏葉薫の作品なのだ*5。このことがよくあらわれているのが告白である。好きという言葉が免罪符となってセックスシーンに移行するのが普通のエロゲだが、夏葉薫作品にはセックスに先駆けての告白シーンというものがなく、好きという言葉が出てくるのは基本的にセックス後の物語をまとめる段階に及んでからだ。


「でも、好きあっていても言葉には出すな、という歌だよね、これ」
「そうね」
「それは両思いである事を確信した上であえて確認しない態度、だよね?」
「ふん。片思いとは違う、と」
「そうそう」
 勿体着けるように、乃雪は足を組み替えた。信の位置からではその奥は覗きこめなかった。
「そこでいよいよ本題なの」
「そこの区別の必要がないわけ、そもそも」
「えー?それじゃあ好かれてると思ってたけど実は勘違い、ってケースはどうなるのさ」
「好かれてるかどうかはどうやって判断するの?」
「確かめればいいじゃん、口頭で」
「『確かめたりしないで どうぞ このままで』」
「おお!」
 信はぽん、と手のひらをうち、その姿勢のまま、天井あたりに視線をさまよわせた。
「区別つかないじゃん、でもそれじゃ」
「だから区別しなくていいの。これが枯堂夏子第一のテーゼ、恋愛とは互いに孤立せる状態である、よ」
(『花咲くオトメのための嬉遊曲』)

 『恋魂詰』では、距離感を踏み越えてセックス行い、事後に好きという言葉を告げるシーンがあり、それからヒロインたちは「恋愛行動を重ねる」。普通と言えるシナリオを想像すると、恋愛としての行動を重ねつつ距離感を縮める→セックスを行える距離感まで縮まったことを好きという言葉でプレイヤーに確認させる→セックス、というふうではないだろうか。
 夏葉薫のシナリオでは愁嘆場につながるような事件らしい事件が起きない・描写しないのも、距離感が縮まらないようするためであると読める。距離感を変えてしまう事件がないというわけだ。会話や野球を丁寧に書くことで行間からキャラクターの心情を立ち上らせるのが上手いのである。『春萌』や『恋魂詰』の会長は元々が日常会話から浮かび上がる距離感の機微を書くために志向されたような体裁のシナリオであり事件が起きない物語である。『花咲くオトメのための嬉遊曲』や『復帰戦』では野球というスペクタクルを書きやすい題材の物語で敢えて配球や打者心理などの細部に主眼を置いており、ホームランや逆転を書くありがちな野球スペクタクルの物語とは一線を画している。


5.距離感

 夏葉薫のヒロイン観とコミュニケーションの書き方が少し見えてきたかと思う。
 整理してみよう。夏葉薫のヒロインは独特で男性的な会話をする。コミュニケーションに距離感があることがレトリックやシナリオから読み取れる。
 すなわち、夏葉薫の書くヒロインは男性的でかつコミュニケーションに距離感がある。これはどういうことか、普通は逆ではないのか?ごく普通のエロゲなら女性的で距離感のないヒロインになるはずだ。エロゲのヒロインが美女でありセックスの対象たりうるためには女性的でなければならないのではないか、恋愛ゲームにおいて距離感が縮まらなければ恋愛は恋愛たりえないのではないかという疑問が湧く。


5.1.レトリックは嘘と化粧*6


柔らかく、まさにその名前のように素直な彼女の髪を、僕は触っていた。
くんかくんか、と僕の胸元で彼女が鼻を鳴らす音がする。
「なんか……臭う?」
「都会の匂いがする、東京の」
「本当に?」
「嘘か、またはレトリックだ」
(『春萌』)

 夏葉薫作品のヒロインにおけるコミュニーションの距離感はシナリオにも表れているが、事件の起きないシナリオは必然目立つ物ではなく、日常描写すなわち会話でこそ表れている。先に述べたが、夏葉薫作品のヒロインが交わす会話というコミュニケーションはレトリックという嘘と化粧で覆われているのだ。レトリックを尽くした会話はヒロインの心情を化粧し嘘の本心を伝えるものであり、主人公とヒロインは孤立した恋愛をすることになる。


「ねえ、もし私がさっきの嘘だって言ったらどうする?」
「ここは名産地だね、嘘つき少女の」
「こいつだけよ!」
「化粧と嘘は淑女の表道具だもん、仕方ないよ」
(『沙緒アフター』)



「仕方ないさ。嘘と化粧は熟女にかなわない」
(『藤井寺さんと平野くん』)*7

 嘘と化粧は現実の女性においても本心を隠し顔を偽るための道具であるが、夏葉薫において嘘と化粧は女性と結びつくキーワードなのだ。
 化粧はエロゲでは表現が困難であるため滅多に見かけない要素であるが、現実の女性においては誰もが身に纏っているものである。化粧することで顔を覆い、化粧することで距離感が生まれる。化粧という距離感はセックスに際してようやく縮められる(つまり化粧を落とす)かどうかというものであり、またセックスを経たら化粧をしなくなるというものでもなく変わらずに存在する。これは夏葉薫の書くコミュニケーションの距離感と同じなのだ。主人公とヒロインのコミュニケーションを経ても詰めることの出来ない距離感はレトリックであり、すなわち化粧だ。そして化粧がある種の嘘であることや、レトリックが嘘を内包しているものであることを踏まえると、会話のレトリックは嘘と化粧に相当するものであり、逆に言うと嘘と化粧をエロゲで成立させるためのものがレトリックであると分かる。


どうしたら、肉布団、なんて言葉は永遠の男のロマンなのだ、とティーンエイジの少女にわからせることができるのだろうか。女子がどんなに太りたがらなかったとしても、傍から見る僕ら男子はぷにぷにとした柔らかさだけを女子に求める。
(『藤井寺さんと平野くん』)

 さらに夏葉薫が嘘と化粧を成熟した女性と結びつけていることに注目したい。
 夏葉薫の書くヒロインの傾向として肉付きがよいという特徴がある。セックスシーンでしばしば母乳を描写する*8ことからも、成熟した身体を持つ女性こそがヒロインとして扱われていると分かる。なお夏葉薫に未成熟な身体や痩せた身体などの魅力を描写した作品はない。『花咲くオトメのための嬉遊曲』に障碍を持つキャラクターが2人も登場するのにその身体を活かした描写がなく、肉付きの良い健康的なスポーツ女子ばかりが描写されるのはここに理由があると見られる。
 さてここで嘘と化粧をレトリックに置き換えて考えてみると、レトリックに満ちた会話は成熟した女性らしいものであるとなる。これは夏葉薫のヒロイン像にも合致するため当然のように思える。
 だが思い出して欲しい。ヒロインの会話は男性的なのだ。ヒロインの交わすレトリックは女性的であるにも関わらず。


5.2.距離感のあるヒロイン

 男性的な会話であることとレトリックが嘘と化粧であり成熟した女性と結びつくことは相反しない。というかその両立こそが肝である。
 ヒロインが男性的に話すということは、主人公とヒロインの両者が男性的な会話をするということである。男性同士の会話には同性だからこその快適なリズムがある。そう、夏葉薫の書くヒロインとの会話にある独特さ・すばらしさとは、男性同士の会話の快適さなのだ。
 しかし同時に、ヒロインたちはどうしようもなく女性的である。レトリックを凝らしてしまう精神性も、身体的な設定も描写も、成熟した女性らしさが志向されている。
 なのにヒロインとのコミュニケーションには埋められない距離感が伴う。普通のエロゲでは距離感は解消されるべきものであるため主人公とヒロインの恋愛における問題となってしまうが、夏葉薫作品では恋愛において距離感は所与のものであり、だから距離感があることはヒロインとの恋愛の妨げとはならない。多くのエロゲで女性らしいという性質が母性的包容力と結びつけられて距離感のないヒロイン像を形成しがちであることを思うと、夏葉薫の書くヒロインの独自さがわかりやすい。さらに大事なことに、距離感があると会話というコミュニケーションの重要性が増すのだ。距離感があるせいで、迂遠な会話から浮かび上がる主人公とヒロインの心情はより濃密なものとなる。


6.まとめ


「よくわからねえが、仕方ねえだろ。男ってのは女が嫌いになるよう出来てるんだ」
「初耳だな」
「男女が愛し合うばかりだったら既婚者はみんな家に篭って出てこないぜ」
「男は男が大好きで、でもそれは禁じられていて……」
「男は女が大嫌いで、でも女を欲望せずにはいられない。世の中そうやって回ってんだ」
「見れば綺麗だし触りゃ柔らかい。卑怯だよな、女って」
男女共同参画社会はどうなるんだ」
「そいつは未来のお話さ。男とか女とか、そんなの気にしない人と人とのつながり、なんてのが世界を覆い尽くせばいいな」
(『恋魂詰』)*9

 男女の気持ちの良い部分だけを組み合わせたヒロインの何と素晴らしいことだろうか。男性同士の気兼ねなさを感じさせる会話は実に心地良く、女性的なレトリックから立ち上る心情は味わい深い。成熟した女性らしさはエロゲとして望ましい肉感的な魅力を放ち、保たれる距離感はコミュニケーションを密にし新鮮さを損なうことがない。
 そこにいるのは理想的なヒロインである。

*1:『帰ってきたへんじゃぱSS』http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/

*2:ひぐらしのなく頃にノベルアンソロジー』(一迅社 )に収録されている夏葉薫著の短編小説『復帰戦』を指している。アンソロジーの収録作ということでごく短い作品ではあるのだが、草野球でのクライマックスの一打席のみを細密に書いた夏葉薫らしい小説。ワンプレーワンプレーの描写がじつに丁寧で、またその打席の結末は夏葉薫しか書かないと言ってもいいだろう妙味がある。

*3:どちらも素晴らしいからこそ『花咲くオトメのための嬉遊曲』は今以て夏葉薫の代表作と言える。

*4:主人公と乃雪が枯堂夏子作詞のアニメソング『恋愛の才能』を題材に会話している場面。『恋愛の才能』はアニメ『天地無用!魎皇鬼』のエンディング曲である。

*5:『春萌』の沙緒との出会いが叔母の紹介であり、沙緒と主人公との関係は条件に適った相手とのお見合いのようなものであったということからも読み取れる。

*6:夏葉薫作品におけるレトリックと嘘の結びつきについては夏葉薫作詞の『春萌』オープニングソング『きっと夢と雪でできている』 を見ても明らかだ。「春まだ遠い北の町では雪を燃やして暖を取る」という衝撃的なフレーズで始まる歌詞であるが、そういったフレーズはヒロインの心性と嘘とレトリックが分かちがたく結びついていることのあらわれであると読み取れる。

*7:藤井寺さんと平野くん 熱海のこと』は小学館ガガガ文庫より発売されている小説で著者は樺薫である。樺薫は夏葉薫の別名義と考えられているが公式情報は発表されていない。

*8:あれにもこれにも出てくる母乳エロ描写がLOVERSOULの意向か夏葉薫の意向か分からなかったが、夏葉薫は母乳フェチらしいのでシナリオライターの特徴と見て問題ないだろう。『LOVERSOUL公式Blog:ある日の開発室〜キス禁止の危機〜』http://blog.livedoor.jp/loversoul_staff/archives/51073166.html

*9:『恋魂詰』京アフターシナリオの「幼馴染が妙に女に見えた瞬間は、何故あんなにも汚らわしく思えてしまうのだろう」という発言から始まる一場面より抜粋。