唐辺葉介『死体泥棒』 感想

死体泥棒 (星海社FICTIONS)
唐辺 葉介 シライシ ユウコ
講談社
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過去作とは逆の構成をした作品。
内容的には現代人あるある。




ネタバレ注意










「内臓がないぞう」の時点でこれどうするんだと思ったら、予想だにしなかった地点に物語が収束した。
読後の第一印象は”これって純文学みたい”。純文学がなにかはよく分かってないけど。別の言い方だと”新潮文庫あたりの体裁で読みたい内容じゃんこれ”という。


過去作とは逆と言い切るには考えるところがあるが、まあ逆と言うのが一番わかりやすいかと。
唐辺の近作は全般的に分かりやすい状況・素直に読める内容から始まって、後半に行くと加速度的に物語の焦点が拡散していくというか着地点が見えなくなるという構成を取っている。で、本作はその逆で分かりにくい状況から始まってすごく素直な着地点に落ち着く。
今作のそうした構成の影響を特に感じた部分は2点。
一つ目は死体泥棒の動機。作品名の時点で明示されている死体泥棒の動機が読み始めて読み進めても中々語られなくて、こいつはサイコパスなのか物語はどっちに行くんだと思っていたら芙美子に死体を見せたあたりからあれよあれよと展開し、着地点はまさかの現代人あるあるというか死の受容というか。
これは着地点が真っ当で健康なところに落ち着く分、物語の前半部が構成的によりショッキングに見えるように書かれているのではないかと読んだ。唐辺ファンの方々におかれては実際死体泥棒程度では全然ショッキングじゃあないような気もするし導入部の設定の状況的なひどさはいつも通りかとも思えるけど、死体泥棒という分かりやすく倫理的にもとる行為で始まる上に動機が語られないことにはやはりそうした構成上の理由を見たい。
二つ目は遠慮のなさ。前半部を読んでいる時点で、今作はどのキャラクターも思ったことを発言するのに直截であるというか、過去作に比べても事物に対する感想に一段と遠慮がないなあと感じた。一段と遠慮がないというのは体感ではあるけれど、特に会話においてはキャラクターみんな過去作以上に何かと直截な発言をしている。
こうした直截さは読んでいる途中はそういうものかくらいに捉えていたが読み終えてみれば、穏当な終結部に至るまで主人公自身や物語の雰囲気をぴんと張ったものにしておくための構成上の要請だったのではと思います。読み終えてみれば今作のキャラクターは優しい人ばかりでいつもの作品を読み返して確認したくなるほどに表面上しかすれ違っていないつながりを感じさせる内容なので、だから前半部はキャラクターが辛口なのかと。


それはそうと、序章として冒頭に短く内容的にもまとまったイントロがあるという構成。『PSYCHE』『犬憑きもさん』『ドッペルゲンガーの恋人』『死体泥棒』の全てに似たような読み口で同じような長さのイントロが付いていて、過去作のほとんどこの形じゃないかと思うんだけど、否定したいわけではないけれどこういうものなのだろうか。読んでいてイントロだからと先読みしてしまう部分が出てきてしまっていてなんとも。




・まとめ
唐辺作品に共通する世界観を現代人あるあるという枠に収めた結果、唐辺的な部分はそのままに穏当な読み口の物語となった。
びっくりするほど真っ当な内容。